人をバカだと思ってしまう理由

人間は、他人をバカだと思うことがあります。

たとえば夫婦関係においても、

「どうしてこんなことがわからないのか」
「どうしてこんな簡単なことができないのかしら」

と思うことがあります。

思ったことをそのまま口に出してしまうと夫婦ケンカになるので言うことはしなくても、多くの人が心で思ったことはあるでしょう。

仕事においても「どうしてこんな簡単なことができないのか。」と部下、上司、同僚に対して思ったことがあるでしょう。

わかりやすく言ってしまえば「こいつはバカだ」と思ったわけです。

他人をバカだと思うことは「あきれた」「うんざり」「腹立たしい」など、相手をさげすむ感情を持っています。

ところで人は、どうして他人をバカだと思ってしまうのでしょうか?

それはあなたの心に「恐怖」「おそれ」の感情があるからです。

「恐怖」「おそれ」の感情が心にあると、ある分野で自分より能力の低い人をみると「バカだ」と思い、さげすむのです。

つまりあなたは、何かに恐怖し、何かをおそれているのです。

心に「恐怖」「おそれ」の感情があると、どうして他人をバカだと思う感情につながるのでしょうか。

それはあなたが

「これまでの人生は、自分の力で生き抜いてきた」
「これからも、自分の自分の力で生き抜いていかなければならない」
「でも、自分の力でちゃんと生きているか不安だ」

と考えているからです。

これまでのすべてを自分の力で生き抜いてきたと思うと、先の見えない不透明な未来に対し、自分の力でやっていけるか不安を感じるのです。

そんなときに自分より劣っていると思う人間をみると、

「こんな人間になっては、自分はきっと生きていけない」
「こんなことではダメだ。自分はもっとしっかりしなくては」

と思い、目の前にいる人間の存在を否定したくなります。

その存在を否定したい感情が、人をさげすむ感情へとつながるのです。

人間というのは、目の前にいる人間を「鏡のような存在」として意識します。

たとえば目の前に「殺人犯」が立っていると、目をそむけけたくなります。

これは目の前にいる人間が同じ人間なので、自分を映す鏡のように思えるから、否定したくて目をそむけるのです。

目の前にいる人間をバカだと思う感情も、根本的にはこの感情同じです。

目の前にいる人間は自分を映す鏡なので「目の前にいる人間と同じことを自分もしていると生きていけない」と思い、恐怖の感情が生まれるから、それを否定しようとバカにしたり、さげすんだりするのです。

ところが「人をバカにする感情」というのは、完全な勘違いによるものなのです。

あなたは自分に有利な生き場所に偶然いるだけ

あなたが日本ではなく、アフリカかどこかの原住民の家に生まれたとします。

そこでは、勉強もなければ会社の仕事もありません。

生きていくためにもっとも必要な能力は「体の丈夫さ」「狩りの腕前」「思い物を運ぶ能力」です。

そしてあなたには、これらの能力がまったくありません。

一族からしてみれば、食事代ばかりかかる、役立たずで足手まといの存在です。

一族の人間は全員、あなたをバカにします。

さて、あなたはどう思いますか?

道徳的な話しをしているのではありません。

あなたは、2つのことを勘違いしています。

1つめは、何かの偶然か因果によってあなたはここにいる、ということです。

あなたが他人より優秀なのは、あなたが必死で努力したからかもしれません。

しかし必死で努力して身につけた能力も、この場所にたまたまいるから、役に立つのです。

場所や環境が違えば、あなたの能力は何の役にも立ちません。

自分が他人より能力が上の立場にいられるのは、この環境、この条件があるからです。

環境や条件が変わってしまえば、目の前にいるバカがとてつつもなく優秀になり、自分はとんでもないバカに成り下がります。

つまり優秀かバカかは環境が決めることであって、あなたが決めることではないのです。

ところでその環境は、あなたが自分で選びましたか?

アフリカの原住民の家に生まれるのではなく、ここに生まれると自分で決めましたか?

このように言うと「でも現実に自分はここにいて、目の前にいる人間は能力が低いから、バカだとさげすんで何が悪い!」と反論する人がいます。

この人は、2つめの勘違いをしています。

自分の力だけで生きてきた人は誰もいない

人によって能力に差があるのは事実です。

しかしだからといって、バカと思ってさげすむ必要はないでしょう。

この人は「これまでの人生は、自分の力で生き抜いてきた」という大きな勘違いをしています。

自分の力で生き抜いてきた人など、この世に一人もいないのですから。

ほとんどの人は、生まれてから1粒のお米も麦も作ったことがないでしょう。

生まれた瞬間から2本足で歩き、食べ物を探し歩いて食べた人は誰もいません。

すべての人は、誰かに助けられながら生きてきたのです。

それと同じで、どんな悪人であっても、生まれてから一度も人の役に立ったことがない人もいません。

すべての人が誰かに助けられ、また助けているのです。

「自分は誰の世話にもなっていない!」という人がいます。

そう思うのは自由ですが、そう思っていると恐怖に包まれます。

誰の世話にもならないのなら、何が起きるかわからない、先の見えない未来に一人で立ち向かって行くことになります。

そして先の見えない未来に一人で立ち向かって行こうとすると、恐怖に包まれるのです。

未来は何も見えず、混沌としています。

人は見通しの立たないことに対して、恐怖を感じるよう本能にプログラムされているのです。

見通しの立たないことに対して恐怖を感じるから、いろいろ考えて準備したりするのです。

そうやって人間は、これまで生き抜いてきたのです。

その準備と努力は、すばらしいことです。

しかし人は、自分の力だけで生きているのではありません。

人はみな、生かされているのです。

自分の力だけで生きていると考えることを、傲慢(ごうまん)といいます。

その傲慢さがやがて恐怖を呼び、恐怖から人をさげすむのです。

人をバカにしながら生きていきたいと思う人は、それでいいでしょう。

しかし、人はバカだと思う人に囲まれて生きていると、幸せになれません。

人は人をバカにする気持ちがある限り、絶対に幸せにはなれないのです。

未来に備えて準備するのはよいですが、必要以上に恐怖を感じて人をバカにしてさげすむことは、あなたを不幸に導きます。

これを読んでくれている人に幸せになってほしいと思うから、こうやって書きました。

目の前の人に対してバカにする感情が芽生えてきたら、

・たまたま自分はこの場所にいるだけ。場所が変われば自分も無能になる
・自分は何を恐れているのだろうか。
・人は生きているのでない。生かされているんだ。

ということを思い出してください。

必ずあなたの助けになると思います。

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